カテゴリー別アーカイブ: 未分類

「国宝」

IMG_2918行ってきました 「国宝」
近鉄無料チケットを利用してお伊勢参りを予定していたのですが、術後なので無理をせず映画鑑賞
家内からのリクエストがあってこの映画
事前にネットで確認していました。
なかなかの高評価 3時間の映画なのに息も切らせずに満足の口コミ
俳優も脚本も事前に何も調べずに鑑賞
レビューの高評価わかりました
李相日監督「悪人」 問題提起の良い作品でした
そして、この「国宝」素晴らしかった~泣けました。
観客も若い女性多かったです。
我々のような老夫婦まで様々な方が足を運んで「映画館で観る」
作品です!  是非!!!

ただ…いまだに携帯電話がクライマックスで鳴りました。
これっていまだ常識になっていないのでしょうか…これだけが残念⤵

20年前に…

IMG_292120年前にづっと悩み続けてきた蓄膿の手術に踏み切りました。
入社当時の先輩であった三村課長が同じ悩みを持っていて手術をされていました。
ただ、その時代は唇の上を切ってベロンと顔をめくっての施術と聞きました…これは考えただけでもダメ。
端境期だったのでしょう~捲らずに鼻腔からできると聞きつけ、ネットで川村先生のHPにたどり着き全身麻酔の一日入院で施術してもらいました。
辛かった術後もその開放感から「やってよかった!」だったのですが、20年経って左鼻に鼻茸復活…もう一度川村先生にお願いしました。
当時の両鼻に入っていたロケットのような詰め物が苦しくて苦しくて( ノД`)シクシク…ところが、20年も経てば内容も変わってますね。
溶けてなくなるようなガーゼ?を詰めるとのこと。
口呼吸がしんどかったのですが、今回は両鼻に丸い綿を詰めて何とか乗り越えることできました。 
当日に先生から小林さん両鼻???と聞かれましたが、「左だけ」と返答…もうないと思います。

 

 

 

せんびる

大阪の中央大通りにかかる阪神高速高架下にできた船場センタービル
1970年の大阪万博に合わせて建設され、地下2階4階建てのビルが10棟1キロに渡るとあります。
最盛期のころを知りませんが、空きがあるもののいまだに繊維街の中心地
様々なお店が並んでいます。
このビルの空きスペースを利用して、普段は東京で開催されているBAMBOO EXPOが期間限定で開催されています。
6/3~10/30 2号館1階  コバヤシ産業 海外事業部担当の商品を展示しています。
OLTREMATERIA MATTEOBRIONI Tarkettリノリウム

残念ながら借り物の場所なので 照明 内装のしつらえ デザイナーの心を揺さぶられるような設えにはなっていません…。
希望は伝えてみても、すべてダメダメダメ…天下りの担当者にありがちな判断ですね…残念
ただ、出展されているメーカーの中には面白い製品が多くあります。
是非一度は足を運んでいただきたいです。

 

 

5度目の万博

28日の土曜日に東ゲートから入場しました。
9時からの枠が取れていましたが到着したのは11時ごろ
事前抽選は全て落選
入場後の空枠もすべて「✖」
暑くてとにかく休憩できる館に入り持ってきたコッペパンを食べていると「すみません~ここ飲食禁止ですと」怒られました(;^_^A
さてどうする?
どこも長い列 ただ、タイミングよくベトナム館に入場 そして 海鮮?フォー&ミルクティーを購入しリングの下で二人でシェアしました  美味しかったです♬
そしてもう一つのミッション 
ブラジル館横のキッチンカーでブラジルコーヒー&ビール  これもgood!
あとはコモンズ館にはいって 次に目指す大阪ドーム

実は我々の船(天神祭りで使用)の改修が終わり 万博で打ち上げられる大曲花火をその船で川の上から観賞する企画があって馳せ参じた次第です。
早く着いたのでイオンで鮨を食べ、酒のつまみとビール、ハイボールを大量に買い込んで乗船
幸い天気も良くよきクルーズでした(^^)/

 

4度目の万博

昨日はお世話になっている山本能楽堂山本章弘さんからお誘いを受けてEXPOホールで開催される
いのちの能「水の輪 Noh for SDGs」に行ってきました。
1回目の13時開演 公演時間は70分
どんな能が演じられるのかと…思っていましたが、水の精 水鳥(狂言)KURAGE Band そして水鳥達(学生たち)  見どころ満載 でも、こういった能があるんですね コラボ良かったです。

この日は先行予約で日本館  火星の石 イトカワから採取してきた砂 循環型社会のプレゼン
そして誰でも待たずに入館できるUAE(アラブ首長国連邦)
このUAEで初めての経験 【ラクダのミルク】を飲みました。
口当たりは まったり そして 甘くて 美味しかったです♬
万博は様々な経験できますね!

 

六本木ヒルズ

IMG_2826仕入れ先であるパナソニック その製品を扱う代理店 松下電工時代から続く工友会 名前を変えてTM会(トップマネジメント?)が今でも継続しています。
共存共栄の精神を掲げた松下幸之助 代理店と同じ目線で「共に」これまで松下電工でお世話になった方々に共通する想いでした。

そのTM会の会長職をおりることとなり新会長と、新副会長との打ち合わせを兼ねた会食
自分のわがままで日帰りできる時間の指定
Y社長より15時~ではどうですか? 案内 
待ち合わせ場所は六本木ヒルズのスターバックスの前あたりでと。
流石に六本木ヒルズ この時間からでも食事ができる場所があるのかと事前にレストランを検索してましたが、社長から「上に上がりましょう!」
エレベーターで51階へ そこで待ち構えていたのが会員制の六本木ヒルズクラブ
海外からのお客様との接待に使われるようです
感心していたら また違った「東京アメリカンクラブ」もありますよ~

51階からの絶景 落ち着いた空間 ゆったり流れる時間 
ブルジョアの方たちはこの様にして過ごさせているのですね。
庶民には縁遠い…と感じた東京出張でした…。

 

長嶋茂雄

IMG_2810昭和11年生まれの89歳
昭和33年生まれの67歳

もちろん大学時代のこと知りません
現役バリバリの長嶋も覚えていません…
引退試合最後のゲッツー覚えています。
自分の記憶の中には晩年のチャンスでのショートゴロゲッツーの長嶋の映像が残っています。
大阪生まれの大阪育ち
なのになぜか巨人ファン 一学年下の赤嶺がドラフトで指名されたときは\(^o^)/
あの左足を「ピョン」と上げるリズミカルな投法をまねしてました!

第二次長嶋監督スタートのドラフトで引き当てたのが星稜高校の松井秀喜
次の日報知新聞買いに行きました!!!
その一面を飾った右手を突き上げた良い笑顔 いいですね~(^^)/
ドラフトの日は1982年平成4年11月21日
葬儀、告別式が2025年令和7年 6月3日

  松井秀喜の弔辞 泣けてきました…。

   これからも巨人ファンであり続けます。

 

3度目の万博

IMG_2772

1日に万博へ13時40分から来場日時と書かれたチケットをサラヤ株式会社から頂いていました。
生産技術振興協会常任理事を務めておられる更家社長の計らいです。

パビリオン「BLUE OCEAN DOME」のパートナーであるサラヤ主催の「SARAYAウィーク」午前中は孫の運動会 最後の男子リレーを見ることなく学校を出ました…一番盛り上がる種目なので残念…。

夢洲駅到着が12時45分 東ゲートで30分以上並んでようやく入場
こんな予定だったのですが あにはからんや 並ぶことなくすいすいとゲート通過
時間帯によるのでしょうか????

このBLUE OCEAN DOME  3つのドームで構成されているのですがそれぞれにコンセプトがあって見どころの多いパビリオンでした。
最後にはサラヤさんからのプレゼン 様々なことに取り組んでおられるんですね~敬服

 

2度目の万博

21日の水曜日 休みを取って朝から万博へ
本当は9時の入場にしたかったのですが満杯とのことで仕方なく10時へ
到着は11時前になりましたが10時の予約の方はこちらへと誘導されました。
この時間は良い天気 荷物検査から入場まで焼く30分…真っ赤に日焼けしました。
ゲートの上にしか屋根がありません…真夏はどうなるのか???恐ろしい(-_-;)
ようやく入場 10分後にパビリオン予約できますが すでに全 仕方なく予約のいらないパビリオンへ 20~30分くらい並ぶ覚悟 
小腹が減ったのでベルギービールとワッフルを食べようとキッチンカーに並ぶ 
「このあたりだとおそらく45分かかります」とガードマン 最悪 ↓
早速 家内と喧嘩 「えぇ~並ぶの?」「ワッフル食べたいねん!」「45分も並んで!?」
「ええやん!並ぶ!!!」
空いていたのは盆栽を展示している館だけでした。

この日は遅くまでいましたが、夕刻からの雨 蚊の大群 噴水のショーによる霧 前何も見えません 子供とはぐれた親の悲鳴 
そして 帰りの東ゲートから続くゾンビのような夢洲駅を目指す来場者 自分たちもですが…。

しかし あれだけの大量の乗客を並ぶことなく飲み込んでしまう地下鉄のピストン運転 凄いです。
また行きますが 戦略を立て直してからです(‘◇’)ゞ

 

お墓の改造完了

曽祖父の金次郎が設計した黒御影のお墓
墓石の下に骨壺を収納する部屋を作っていたのですが、床も石づくりのため水没…。
新しく砂を敷いてもらいその上に入れ替えた骨袋を並べる。
30年過ぎると先に骨袋が、そして遺骨も土に還るとのこと
改良前に合った小さな骨壺が2個
叔母さんによると 幼くして亡くなった 富江と静雄 だと思う…と。
父親の兄弟は 正武 哲雄 光雄 弘子 そして 富江さんと 静雄さんの6人だったんですね。
お二人とは初対面 こみ上げるものがありました…。
骨袋を順番に皆で入れさせてもらいました。
ご先祖があっての いま 
一日一日 大事に過ごさせてもらいます。